ドキドキを貫いた後のハピネスを教えてくれたのがMLS

45 年前に MLS の代々木教室で「ムシ」さんという先生(本名は教えてもらっておらず)の教室に通っていた野別真由美と申します。
大学地代は KUEL,MUEL を通して、再び奈良橋女史のプロジェクトに参加することが出来たのは、嬉しかったです。英語と演技を身に着けておけば、いつかチャンスがあれば「モンティパイソン」になれるかも(出来るかも)?と思い、MLS での学びには熱が入りました。その他にも日本の演劇学校に通ったり、日本人を生かしてと思い、武道・武器道、殺陣、着付けや三味線(名取にまでなりました!)など、もし、自分の日本人とてのアイデンティティーが生かせればなどと思い、色々と学びました。そんな中、ハリウッドで侍や芸者の映画が撮られる様な時に役にも立つかもしれない!などと10 代の自分は思いましたが、一方で、ハリウッドで侍ものの映画や、芸者の映画なんて撮られないだろうし、無駄なのかなあなどとも思いました。(「SAYURI」や「LAST SAMURAI」がハリウッド映画で世に出たのはそれから何十年も後の事で、奈良橋女史のお名前を見て、腰を抜かしました。)

 

私の場合、色々な遠回りをしてしまったが故に逆に夢に近づいた様な気がします。でも、もっと近道を通っていたら、もっと早く夢が叶っていたかもしれません。何がどうなるかってなかなかわからないことも多いです。なんか本当にやりたいこと以外のことにあまりにも時間をかけてしまいました。でも、そこで現れた人たちが次への道標になってくれたことも事実です。そして、MLSでの経験は色々なところに生きている感じがします。 MLSでの経験があったから、ちょっと不安でもまずやってみて、それがどうなるかはわからなくても、自分が進んだ道をワクワクしながら進んでみると、思いもかけないサプライズがあるという流れを知ることが出来ました。私の場合は遠回りした様で、その遠回りがなかったら、元々の夢が叶わなかったです。また、その先にまた全然違った面白い世界があることも体験できました。 イギリス、アメリカ、マレーシア、ベトナム、オーストラリアと移住しながら楽しく生活出来たのもMLSでの楽しい経験が英語でコミュニケーションをすることの面白さを教えてくれたからだと思います。

 50周年おめでとうございます。


 野別真由美さん